仕事の本質は感謝。

伝える「ありがとう」という言葉に
障害はありません。

草とりサービスを始めてすぐの頃、某企業での草とりを終えた時のことです。企業の社員さんが駆け寄って来て、作業を終えた私たちを呼び止めました。

何か失敗をしてしまったのではないか?
そういう事を想像して私たちには緊張が走りましたが、それは無用の心配でした。社員さんの手には作業をした人数分の飲み物があったのです。

「ありがとうございました」
社員さんが障がいを持つ彼らにそう言った瞬間、沈んでいたその場の空気がガラリと明るく前向きなものに変わりました。彼らは、自分の存在意義を見つけたのです。

寄付を頂き、助力を頂き、ありがとう。なにかをしてくれてありがとう。そうやって誰かに感謝を伝え続けた人生が、ありがとうと言われる事で、誰かから感謝され、社会の一員として自分がここにいるのだという存在感を自覚し、誇りと自信に裏付けされた人生を歩み始めた瞬間でした。

個々の人間が社会を形成する者の一員として誇りをもって暮らしていくには、仕事と対価という、人間にしか行えない行為をもってしか、成し得ないのではないかと強く感じています。

この草とりサービスが広がる事で、誇りをもって人生を前向きに生きられる人が日本中に向けて徐々に増えていく。それこそが、この事業で成し得たい本来の目標であるのだと、毎回作業を終える度に強く思います。

やさしい草とりサービスとは

障がい者作業所における利用者(障がい者本人)の収入は月額16,000円程度です。これでは生活もままなりません。こうした状況を打破し、時給350円が現状のところ平均時給600円をクリアしながら、延べ20万人の障害者雇用を創出する活動です。

このサイトは主に

  • 企業が追加経費を掛ける事なくSDGs目標達成の支援をするやさしい草とりサービス
  • 様々な事情から個人が草とりを行えない所をあなたに変わって草とり草刈りを実施するやさしい草とりサービス
  • 様々な事情から家族祖先のお墓参りに行けない方に変わってお墓の清掃参拝を行うやさしいお墓参りサービス
  • SDGsやCSR活動に関する情報を集めて発信するオウンドメディアSDGs BOOK
  • ありがとうでつなぐ20万人プロジェクト

から構成されています。

持続可能な社会の実現に向けて。言葉では簡単ですが、実施するには皆がもっと前向きに取り組まなければなりません。

持続可能とはビジネスを回すことに他なりません。この社会の中で、障害を持った私たちの仲間が、誇りを持って仕事に取り組める仕組みづくりこそ、未来の本当の福祉であり究極の社会貢献ではないかと感じています。

受賞等履歴

2017年11月
シェアブレインビジネススクール主催ビジネスモデルデザイナー® アワードにて大賞受賞
2021年3月
浜松いわた信用金庫主催チャレンジゲートにて特別賞受賞
2021年6月
静岡県産業振興財団主催SDGs貢献企業支援事業にて採択

ありがとうでつなぐ20万人プロジェクト

平均時給換算で600円(現在静岡県統計では350円)以上を維持しつつ、延べ20万人の仕事創出を目標に掲げているこのプロジェクトが、今どこまで進んでいるのか?
こういった目標値へのアプローチは、なかなか見えにくい場面が多いのではないでしょうか?

私たちは、この「ありがとうでつなぐ20万人プロジェクト」の目標への歩み(27,800km)を、誰が見ても分かるような形で情報発信したいと考えています。
そこで、このプロジェクトの発信地である浜松から、なんと新幹線の線路上を人と人が手を繋いで東へ伸びて行った時、約20万人で東京駅まで到達できることに着目しました。

この事業をスタートとして、今現在20万人の仕事創出はどこまで行っているのでしょうか?そして、時給換算600円(静岡県平均350円)はクリアできているのでしょうか?貴方のお仕事のご注文が、その確実な一歩になります!

伝えたい想い

第1話

地域活動にまい進し、「それで充分だ」と思っていた私に、現実を突きつけるような出来事が起こった。

せみの声がうるさい。まるで、耳の横で鳴いているかのようだ。
私は、携帯電話で今の時刻を確認した。14時01分。
照りつける日差しも容赦無い強さだが、この時間になると少し柔らかな印象になる。もっとも、だからといって暑くないわけではないのだが。

「ありがとうございました。」

依頼のあった個人宅での草取りを終え、草取りに使った道具などを一通りコンテナ箱の中に片付けたところで、障がい者施設のみんなは横一列に並び、今日草取りの仕事を依頼してくれた野口さんに向かって、笑顔で終了の挨拶をする。今日は6人。皆、実に誇らしげに並んでいる。経験を積んだ事による自信が湧いてきているのだろう。野口さんもそれを笑顔で返している。

彼らは耳が聞こえにくい。もしくは完全に聞こえなかったり、聴覚障がい以外の障がいを重複していたりする。だから、草取り事業を始めた当初はまったく何をして良いか分からない様子だったが、今では率先して作業に取り掛かり、自主的に作業員同士でコミュニケーションを図り、どんどん作業を進めようという意欲を感じる事ができるのだ。

「本当にありがとうございました。」

車に乗り込む彼らを横目に、私も野口さんに向かってお礼を言う。

「いいえ、こんなに暑いのによくやって下さいました。体調を崩す方が出ないかと心配していたのですけれど、みなさん丁寧に草を取って下さって、本当に感謝しています。」

野口さんは昨年大病を患い、左半身に少しマヒが残ってしまった。以来、今まで自分でしていた庭の草取りを、ほとんどする事ができなくなってしまったのだ。

「また、いつでも言って下さい。スケジュールを調整してお伺いしますので。」

私は野口さんに告げて、施設のみんなを振り返る。
車に乗り込んだみんなは、まさに出発しようとしているところだった。

「ありがとうございました、それではまた。」

施設の職員さんが窓を開け、私に挨拶をしてくる。

「はい、また連絡しますね。」

私はそう言って出発する車を見送ったあと、照りつける日差しを避けるように木陰を選びながら、少し離れた所にある駐車場へと向かいつつ、ようやくこの事業に手応えを感じていた。
障がい者施設と連携し、企業・個人宅・寺院などにある緑地や庭の草取りサービスを春にスタートしてから、この2ヶ月半で試験導入も含め、10件ほどの仕事をする事ができた。
事業の立ち上りとしては、まずまずなのだろう。しかし、私が専務取締役をつとめる舩越造園と障がい者施設が連携した草取りサービスを、実際の事業としてここまで漕ぎつけるのには、多くの葛藤と苦難を乗り越えなければならなかったのだ。

・ ・ ・

有限会社舩越造園は、浜松市浜名区にある造園業者で、創業から50年になる。
主な仕事は、各家庭の庭木や周辺企業の緑地手入れ、区で管轄する小さな公園や道路の植物維持管理で、とにかく現地へ車で移動して作業するという仕事の性質上、非常に限られた地域での仕事が多い。
ゆえに、創業以来50年間、地域に育ててもらったといっても過言ではない。
その事は社長を含め、変わらず経営者の心の中にあり、私も地域の行事には積極的に参加することで、地域との連帯感を強めている。

――地域に育ててもらったのだから、地域のためにできる事をする――

私は、そんな思いで造園業という事業活動に、そして地元の地域活動にまい進し、「それで充分だ」と思っていた。
しかし、そんな私に現実を突きつけるような出来事が起こったのは、いよいよ寒くなってきた去年の11月の事だった―――

「こんにちは。」

良く晴れた日だった。引戸になっている舩越造園の玄関ドアを開けるキィという軽い音と共に、男性の声が聞こえた。

「はい、どちらさまですか?」

私は、玄関からは壁で見えなくなっている会社のPCコーナーから顔を出し、玄関を見た。
そこには、黒系のスーツに身を包んだ中年男性が立っていた。

「どういったご用件でしょうか?」

そう聞きながら、私は玄関先まで移動し、私は彼の落ち着いていながらも柔和な表情を見た。

「授産所連合の川上と申します。障がい者の方々が作ったクッキーなんかを置いてくださる店舗や使って下さる企業を探しているのです。」

「あぁ、授産所さん。せっけんとかボカシならウチで取り扱っていますよ。」

舩越造園の周囲には福祉施設が多数存在しており、せっけんやボカシ(生ゴミに混ぜて肥料にするもの)などを手作りして販売委託をしている施設もある。

「クッキーとかの食品は、衛生上置くわけに行かないけど、今置いている物ではボカシなんか人気ですよ、品切れしちゃう事もよくありますし。」

「そうですか、上手く行っている所もあるのですね。」

若干寂しそうな表情で、授産所連合の川上さんは笑った。

「やはりこんな時代ですから、みなさん相当苦しいのですか?」

私は思わず聞いていた。
すると、川上さんは堰を切ったように、障がい者の労働問題について話し始めた。
障がい者の労働問題。それは、一言で言えば仕事が無い、という事だった。障がい者の方が朝、自宅から施設へ集まっても、むなしく空き缶を潰して1日を過ごす。たまに仕事があっても続かず、小さな内職の仕事がいくつかあるだけ。
障がい者白書によれば、授産所で働く知的障がい者の1ヶ月の平均賃金は1万2千円になってしまったようだ。
そんな絶望的な状況の中、黙々とそして細々と仕事をしているのだ。

「雇用の予定なんて……ありませんよね?」

遠慮がちに川上さんは聞いてきた。私は、力無く頷くしかなかった。
最悪の市場環境は、舩越造園にとっても危機的状況を作り出していた。
今まで舩越造園はどこよりも早く庭木管理の機械化を推し進めてきた。下請に依頼するのではなく、会社の社員である職人がチームワークを活かし、役割分担をして効率良く仕事を進めることができる自信がある。
しかし、仕事は少ない。それは、今の状況ではどうしようもない事であると同時に、こうして余分な時間を取られていては、自社の死活問題にもなりかねないという暗い気持ちも湧いてくる。

「ウチもなかなか厳しいから……」

それ以上言葉にできず、私はクッキーなどの写真が載った授産製品のパンフレットを受け取った。

「もし何かありましたらご連絡下さい。」

川上さんはそう言うと、事務所を後に寒い外へと出て行った。授産所製品を取り扱ってくれそうな、次の事業所へ向かうのであろう。
その日以来、私の心の中に、何かが引っ掛かったままになっていた。

第2話

できるかもしれない。何かが動くかもしれない。

静かな、それは久し振りに風の少ない夜だった。
落し気味の照明の中、読みかけていた本を読み終えた私はソファから立ち上がると、次に読むための本を選びに、いつもの書棚に向かった。就寝前に1時間ほど、気になった本を読むのが私の日課である。
本の種類は、大好きな時代小説の新刊だったり、買っただけで読まずに積んであるビジネス書だったり、時には一度読み終えたものを再度手に取って読み返す事もあった。
書棚に向き合った私は、目線より少し上の縦横乱雑に積んである買い置きのビジネス書を手に取る事無く、膝下辺りの棚に集中している時代小説に目を向けるでもなく、棚の上の方にある(これは書棚に残して置こう)と思った本がストックしてある段に目を向けると無意識に、それは吸い込まれるようにという表現がピッタリ来るほど自然に、白地に赤い文字でタイトルが書かれた本を手に取った。

【日本でいちばん大切にしたい会社/坂本光司 著】

本の内容は、会社が大切にすべき5つの人は「従業員とその家族」→「発注先の人とその家族」→「お客様」→「地域の人々」→「株主」の順番であると説かれたもので、それらについて事例がいくつか書かれているものだ。

その素晴らしい内容に感銘を受けた私だったが、以前に読んだときには、その熱く使命感に燃えた経営者達の事例をモノにする事ができず、自分に対する情けなさを抱いただけで終わってしまった。「いつかは……」という想いだけが残り、自らが成長した時に再び読もうという決意と共に、書棚に入れておいた本だった。
手にとった本の目次を見返しながら、ソファへと歩く。目次の言葉を見ると、その内容が意識の中に流れ込んでくる。「あぁ、そんな内容だったな。」そう思いながら本文に入ろうとすると、ひとつの事例と自社が、なんとなくだが少し重なったように思えた。
慌てて目次を見直す。これだ。障がい者雇用率80%のチョーク製造会社。本文へ行き、その事例を読み返す。なぜ?なぜできる?成功の要因を探す私の目に飛び込んできたのは、ほんの1行の言葉だった。【人を工程に合わせるのではなく、工程を人に合わせる】という言葉。

「・・・ルーチン化?」

心の中でつぶやくと同時に、何年か前アルバイトで軽度の障がい者に作業の手伝いに来てもらった記憶が、鮮明に甦ってきた。
あれは個人宅の庭ではなく道路の両側にある街路樹の枝を切って片付ける作業だった。すでに作業全体のルーチン化ができていて、その作業を更に1段階切り分ける事によって、経験から来る高度な業務判断が必要ない、単純労働のルーチンワークを生み出したのだった。

「道路の街路樹作業では完璧とはいえなくてもできた。では、舩越造園の仕事全体ではどうだろうか?効率を損ねる事無く、もっと細かく切り分けられないだろうか?」

自分の頭の中で物凄い勢いで回転していく思考に、お得意様から頂いた言葉が重なった。

「草刈りはしているのに草取りはしないの?」

草取り。それは、草刈機の刃が入らない植え込みの中や、細かい砂利敷きの中などに生えた雑草を手で抜いたり切ったりする作業。庭木の手入れ技術や造園技術を覚えた職人がするには、同じ仕上がりでもシルバー人材などと比較すると高コスト化してしまい、今まではお施主様に話を向けられても「庭木の手入れと違って技術的な事はほとんど必要無いですから、シルバー人材センターさんにお願いする方が安くて良いのではないですか?」とお伝えしていた作業だった。

元々、時間と作業のバランスから高コスト化が避けられずに会社では対応していない業務。それは、すでに作業上ではルーチン化の切り分けができている事を示していた。草を取る作業は技術訓練も少なくて済む。後は、気候対策や業務の進め方、そして何より仕事を受注してくる営業活動。私が今までしてきた事じゃないか!
できるかもしれない。障がい者の方に、日々空き缶を黙々と潰している人達に、仕事の喜びを感じて頂けるかもしれない。
早速、授産所連合会の川上さんに相談してみよう。どこかで、何かが動くかもしれない。
そこに、何か尊いものが生まれた気分が込み上げて来た私は、しばらく眠りにつく事ができなかった。

・ ・ ・

私は川上さんに連絡を取り、草取り事業に興味の有る障がい者施設の方と会いたい旨を話した。川上さんは喜び、多くの障がい者施設に声を掛けて下さったようだった。実際の説明会には、3つの施設から担当者の方が聞きに来られた。
舩越造園事務所の会議室に施設の方が3箇所から2名づつ、授産所連合会の川上さん、部下の方、そして私の9人が集まった。手狭な会議室なので9人も入れば一杯だ。皆、デスクに備え付けの椅子や3人掛けソファなどへ思い思いに座る。

「私が皆さんにご提案したいのは、簡単に言えば草取り仕事です。私が草取りの仕事を受注し、値段交渉をし、決まった仕事を、皆さんのスケジュールをお聞きしながら先方のご都合とすり合わせ、作業に入るまでをコーディネートいたします。具体的には・・・」

皆、私の話を真剣に聞いてくれた。担当者の方々からは前向きに取り組もうという感じが伝わってくるが、その奥にある不安も感じていた。それも当然だ。こうして施設を運営されてきて今まで、やった事の無い仕組み。前例の無い事。不安は尽きなくて当然である。

「集団で出掛けて行き、仕事をしてくるという経験が無い」
「漠然としたものだろうけれども、発注してくれる方に不安が無いか気になる」
「施設単体ではとても対応できるほどの人材がいない」

施設の担当者から次々と質問が挙がる。私は、それらの質問にひとつずつ答えていく。解決のためではなく、理解を頂くために。こういった話はどこまで細かく話しても、結果としてやってみなければ本当の事はわからない。実もフタも無いようだが、その真実を丁寧に伝えて理解を得るしかないのだ。

結局、仕事の話があれば作業してくれるという施設は2つになった。私は、更にそれらの施設との理解を深めるために、実際の営業活動に先立って、それら施設を個別に訪問し、彼らの日常に触れた。
プレハブを繋ぎ合わせた簡素な建物に、彼らはいた。そして、いつもの作業をしていた。
空き缶を手馴れた様子で潰す姿、自動車部品の内職を黙々とこなす姿、狭い部屋で輪になって裁縫をする姿、そこには、当たり前だが人々の生きる姿があった。

私は、そんな姿を見て大きな使命感のようなものが湧き上がって来るのを感じた。「施設」と、ひとくくりに呼ぶのは簡単だ。今までその言葉を口にした時には、何のイメージも無かった。
だが、これからは違う。「施設」という言葉は便宜上の話であって、その言葉を口に出す時には、この人々の営みを思い出そうと心に誓った。彼らに仕事を、仕事をする喜びを、その可能性を運んで来る事ができるのは、私なのだと。
会社に戻った私は、自身の予定表を総見直しする事から始めた。造園業の営業活動に加えて彼らへの草取り仕事も受注して来なければならないからだ。

使命感を燃やし、様々な場面で告知を続けた私の元に、草取りの初依頼が来たのは、それからしばらく後。寒さも癒え、草木が目を覚ました4月の事だった。問合せを頂いたのはエドワード社。それは浜松では屈指の、日本でも名前を言えば「あ~あの」とうなづく、大企業からの問い合わせだった。

第3話

私たちに力を貸してください。ほんの少しの力でいいのです。

エドワード社の玄関は、大きな自動ドアから入るとすぐ、落ち着いたエントランスがあり、その先が鏡張りになっていて、中庭が見える構造になっている。そこには少なからず植込みがあり、普段は人の出入りも多いので、いつも植木の乱れや見苦しい雑草には気を使っている場所なのだ。

「何が不安って訳じゃないけど、何となくね。」

エドワード社の担当である岩下主任は、温厚で知的な表情で、そう話しかけてきた。

「お気持ち、分かります。もちろんその辺りはクリアにしてあります。」

私は、岩下主任が感じた漠然とした不安について、丁寧に説明した。
もちろん、差別意識や安易な否定から生まれた言葉ではない事は、充分承知している。こういった発言を聞くと、激しく反論する人もいるようだが、反論する人は、その行為が逆に社会との壁を作っている事に気付いていないのだろう。もっとも、冷たい洗礼を浴び続け、次第に攻撃的になってしまったという過去があるのかも知れないが、少なくとも岩下主任から感じるのは、できるだけ協力したいという思いと、未知への不安だった。
そう、つまり先日まで、草取り事業に対して施設の方々が感じていた不安と同じものなのだ。

「まず、人の出入りが少ない土曜日に作業を行います。」

「土曜日だけで終わるの?時間的には。」

「大丈夫、午前中もあれば終わってしまう仕事量です。ゴミの持ち出しと処分は当社が行いますので業務的に特に何かをお願いしなければいけない事はありません。」

「そうですか。注意事項や緊急に連絡したい事は伝わるのかな?」

「もちろんです。必ず1名は施設職員の者が同行していますので、細かいコミュニケーションを図ってくれますから安心して下さい、作業当日にご紹介します。それに、作業前の時点から業務が軌道に乗るまでと、終了前の最終チェックは、私が必ず行いますので、私に言って頂ければ。」

話をしながら、現場の状況を更に細かく確認する。タマリュウという草類が一面植えられているスペースもあり、ここはタマリュウを残して雑草だけを抜かなければいけない所だが、判別は容易で作業指示としては難易度が低い。大丈夫、もう一度自分に言い聞かせる。

「まあ、舩越さんはプロだしね。お任せします。」

岩下主任はそう言うと、軽く頭を下げた。
「ありがとうございます!きっといい仕事にしてみせます。」
私は、深々と頭を下げると、作業を依頼する最寄りの施設に連絡を取るため、車へと戻った。

・ ・ ・

 2日前からグズついていた天気も朝の時点で上がり、なんとか土曜日を晴れで迎える事ができた。

「ここです。玄関から入った正面に中庭がありますから。」

エドワード社の駐車場に自分の車と施設の車を並べて停めてもらうと、私は玄関を指し示しながら障がい者施設職員の赤尾さんに言った。

「こんなちゃんとした会社に入るのは始めてです。」

緊張の面持ちで、赤尾さんは言う。20代後半、イケメン(笑)の赤尾さんは、手話も出来る優秀な職員さんだが、法人訪問には慣れていないようだった。
扉を開け、受付に向かう。元々話せないので感想を聞く事はできないが、背中に伝わってくる障がい者のみんなの空気は緊張したものだった。
私は、みんなの緊張を多少でも減らそうと、いつもより手馴れた調子で、置いてある呼び鈴を鳴らすと、ほどなく岩下主任が奥からやって来た。

「今日はよろしくお願いします、こちらが、施設職員の赤尾さんです。」

「よろしくお願いします。」

施設職員の赤尾さんが、緊張ぎみに岩下主任に挨拶をする。同様な面持ちで、岩下主任も挨拶を。お互いに緊張感は隠せないが、それも慣れだろう。
こういう時は、挨拶を済ませたらすぐ作業に取り掛かる方が良い。論より証拠、案ずるより産むが易し、である。作業後に信頼関係が大きくなれば良いのだ。

「では、業務の説明をして実作業に移ります。岩下主任、また終わり頃にお呼びします。」

私は、挨拶を済ませたみんなと中庭に入る。想像していたが、みんなも大きな会社の雰囲気に呑まれてしまっている。気持ちが浮つき、落ち着きが無い。

健常者でも障がい者でも、そういう時は安心できる何かがあれば落ち着くものだ。私はそういう判断から、すぐさま作業内容の説明をオーバーな手振りを交えてしていく。それはすぐに、赤尾さんが手話で伝える。口頭説明より時間が必要だが、それは重要な時間であり、削る事は出来ない。少しずつ作業内容を理解したみんなは、はやる気持ちを抑えきれないのか、今にも草を取りはじめようとしている。

余談だが、作業内容の説明という部分は、この後徐々に試行錯誤を重ねていき、作業員のそして私自身の経験値が上がる毎に、ツボを捉えたものになっていった。今では、20分かかっていた作業説明は、10分も有れば十分理解し進めていけるようになっている。

「ここを作業する人、それからここ。まずは二手に分かれてみましょう。」

あらかじめ施設側でシュミレーションしてあったのか、あまり迷う事無く分かれて作業を始めた。
多少のアドバイスをしながら、ゆっくりと全体を回ること15分。作業しているみんなの動きに、良いパターンや悪いパターンが見え始める。

「それをすると二度手間になるから、小さい範囲を潰していく方法が良いよ。」

「そこまでやっていくと細かすぎて時間が掛かりすぎるから、その部分はしなくても大丈夫。」

手話通訳ができる職員の方を通じて、作業効率の面でアドバイスをする。【草を取る】という作業自体は難易度も低いので、さほど細かい部分まではどうやら気にする必要は無さそうだ。
そのまま、特に問題も無く約2時間。私の仕上がりチェックで全ての作業を終えた私と彼らは、笑顔で互いの労をねぎらいあった。

「きれいになりました。ありがとうございます。」

終了後、中庭に来た岩下主任は、作業の最終チェックを終えると、そう言った。

「こちらこそ、このような機会を下さって感謝しています。何かお気付きの点などございますか?」

不安はあっただろうが、私たちを初めて使って頂いたその行動に敬意を表しつつ、岩下主任にお聞きした。

「いや、問題ないですよ。本当にありがとう。」

どうやら本心でおっしゃって下さっているようだ。しかし、潜在的な部分においては未知である。施設のみんなの前では出しにくい潜在的な本音を聞くのは、日を改めて私が行うのが適切だろう。

「それでは、ありがとございました。」

さわやかな充実感と共に、私達はエドワード社を後にした。

・ ・ ・

「ちょっと、ちょっと待って。」

帰るためにエドワード社の駐車場で車に乗り込もうとしていた私たちを呼び止める声がする。振り返ると、岩下主任がこちらに向かって来るのが見えた。

「あ、どうもありがとうございました。」

若干の不安を抱きつつ私は話しかけた。岩下主任の息が少し弾んでいる。小走りにやって来たのだ。
施設のみんなにも若干硬い緊張感が走る。まさか?悪いイメージが脳裏をよぎったのかもしれない。
いったいどうしたのか?と一瞬思った私だったが、岩下主任の手に抱えられている物を見た瞬間、その不安は歓喜に変わった。

「これ、持って行ってよ。」

岩下主任の手には、草取りをした彼らの労をねぎらうためのパックのお茶が人数分納まっていたのだ。
未だ少し、岩下主任の息は弾んでいる。きっと中庭でのご挨拶の後、急いで自動販売機に向かい、事前に見て取った人数分を購入し、帰ろうとする私たちを小走りで追いかけてきてくれたのだろう。
そこには、ただ単に発注者と受注者という事ではない、感謝の気持ちが込められているのが伝わってきた。

「ありがとう。」

岩下主任は、今度は目の前にいる、作業をしてくれた障がい者のみんなに向かってお礼を言った。
満面の笑みで赤尾さんが手話通訳する。だが、そんな事はしなくても、みんなには伝わっていた。
笑顔が、みんなの笑顔が感謝の気持ちと共に伝わっていく。
その時、緊張で硬くなっていた空気は、優しさという光に包まれて柔らかくほぐれていった。
それは恐らく久し振り、ひょっとしたら彼らにとって生まれてはじめての体験だったのかもしれない。

今まで「ありがとう」という言葉は、頂いた好意に対して使ってきた言葉だった。もちろんそれは当然の事であって、感謝する気持ちを忘れる事はないだろう。
しかし、彼らの今までの人生の中で仕事を通じて「ありがとう」と言われる事は、果たしてどれだけあったのだろうか。来る日も来る日もむなしく空き缶を潰していた日々。この瞬間、彼らは自分達の手で、新たな社会での【存在価値】を見出したのだった。

求められている。この仕事は、世の中に求められているのだ。
私も彼らの笑顔を見ながら、優しくて温かい気持ちに包まれていた。
この障がい者施設と連携した草取りサービスは、まだ始まったばかり。
しかし、立ち上りの春~初夏までの限られた期間だけで、法人個人併せて10件以上の受注を頂いている。まだまだ至らない点や未熟な点を全力で改善中だ。それは、作業をする障がい者の方たちだけではなく、私自身もだ。障がい者支援という未知の領域では知らない事の方が多い。しかし、ひとつづつ階段を登るように、努力を積み重ねて行きたいと思う。

・ ・ ・

 6月の久し振りに晴れた日、私は5月分の作業代金を支払うべく、障がい者施設を訪れた。
そこには、手馴れた感じで空き缶を潰すみんなの姿があった。
私の姿を認めると、みんな笑顔で会釈してくれる。最初に現状を見に伺った時のような切迫感は薄れてきているようだ。

「……なるほど、厳しい状況は変わりませんね。」

施設内の一角で支払を済ませ、領収書を頂いた私は、赤尾さんと雑談をする。やはり、障がい者雇用や収入の問題は悪化の一途を辿っているようだった。横を見ると、やはり何かの部品を手作業で作っているみんながいた。この部品ひとつで、一体いくらの収入になるのか・・・聞く事はできなかった。

「しかし、本当ならこんな日は外仕事するにはもってこいですね!」

話題を変え、務めて明るい話題を振る。

「そうなんですよ。みんなには練習だーって言って、施設の周りに生えている草を取るように言っているのですけど、なかなか……仕事でお客様の所へ行った時の様には集中力が続かなくて……いつも中途半端で終わってしまうんです。」

苦笑いを浮かべながら赤尾さんは言う。
それもその筈、その草取りには「ありがとう」が無い。社会に自分の存在を示し、幸せな気持ちにしてくれる、あの感謝の言葉が無いのだから。

「それは大変ですね。」

私は何だか楽しくなって、赤尾さんには失礼だったかもしれないが、そう言いながら笑った。
6月の空に、空き缶を潰す音が響いていた―――――

 

私たちに力を貸して下さい。ほんの少しの力でいいのです。
しかし寄付を募るとか、そういった話では、ないのです。
仕事という社会活動を通じて、たくさんの「ありがとう」を彼らに届けたいのです―――――

 

※この物語はフィクションではありません。
登場人物や団体名などはプライバシーの事もあり変えてありますが、事実に基づき私の思いをそのまま言葉にしたものです。

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